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18件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2010-11-19 第176回国会 参議院 予算委員会 第7号

例えば歴史を振り返ってみますと、日清戦争の後、三国干渉をやられる、次は必ずロシアと戦うと。そのときに、例えば伊藤博文日露協商という道を模索した、小村寿太郎日英同盟ですよ。そういう大きな選択肢の中で物事を考えてきた。こういうことをきちんとおやりになっているのかどうなのか。  例えば、これからロシアとの北方領土をめぐってどういう展開をしていくのか。

舛添要一

2008-04-17 第169回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号

やはりかつての列強国、三国干渉があって、そういう歴史を超えられていないのかなという、そういう延長の中に今の地政学の問題とか安全保障の問題があるのかなと私は思っているんですね。この辺は、それじゃ後で答えてください。  在日米軍地位協定の第十六条は法令遵守義務に触れていますが、米軍日本の立法は尊重しても従う義務がないことになっているんですね。

喜納昌吉

2007-02-09 第166回国会 衆議院 予算委員会 第6号

まさしく机上の空論である、日露戦争も最初から勝てると思ってやったわけではない、三国干渉があってやむを得ず立ち上がったのである、戦というのは意外なことが起こってそれで勝敗が決するのであって、諸君はそのようなことを考慮していない、この研究の成果は決して口外しないようにと言って終わるわけですね。  なぜあの戦争は負けたか。要は、輸送というものを徹底的に軽視したからですよ。

石破茂

2004-02-10 第159回国会 衆議院 予算委員会 第7号

領土問題というのはなかなか難しくて、かつて三国干渉というのがあって、日本戦争によってとったものを取り上げられたという歴史的な経緯もあるわけですが、諸国間、特にアメリカとかヨーロッパの関係国々理解を得ながら、ソ連に、国内にもいろいろ意見があるようですけれども、理解を求めていくということも大事でありますが、日ソ間の総理がおっしゃったような交流を進める、理解を進める、と同時に、平和条約を結ぶというときこそ

杉浦正健

2003-05-08 第156回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第4号

これは三国干渉臥薪嘗胆になってしまったけれども、日清戦争の前後に条約改正陸奥宗光の努力で具体化して、陸奥宗光が亡くなった後で条約改正が完成したはずですけれども、そういうところから見た一種の憲法史といいますか、政治史というのはもっと研究しておかなければいかぬことではないかという気がちょっとしたんです。  

平林鴻三

1991-11-20 第122回国会 衆議院 国際平和協力等に関する特別委員会 第5号

あるいは佐藤功先生といった学説によりましても大体一致しているところだと承知しておりますが、それは通常は、現実にはまだ武力を行使しない、しかし自国の主張、要求を入れなければ武力を行使する、こういう意思、態度を示す、それによって相手国を威嚇する、こういうのが大体言われているところでございまして、例に引かれておりますのは、例えば宮沢先生でございましたら一八九五年のフランスドイツロシア日本に対する三国干渉

工藤敦夫

1991-03-15 第120回国会 衆議院 外務委員会 第8号

二度の戦争がありましたし、ノモンハンの事件もありましたし、三国干渉もありましたし、ようやく今日、ゴルバチョフ大統領の来日ということにもなるわけですけれども、北方領土の返還ということをめぐって、極東安全保障、つまりソ連側から見た場合の極東地域全域軍備管理と、ソ連側にしてみれば密接な関係を持っていると思うのですね。

川崎寛治

1985-04-17 第102回国会 衆議院 文教委員会 第7号

国干渉後の列国中国進出も、こうした帝国主義の動きのあらわれであった。」こう書いてある。そして「義和団の乱」となって、「列国が進出した中国ではこういう言い方になっておる。そして「日英同盟」というところでは、「義和団の乱ののちも、ロシア満州の占領をつづけた。」こう書いてあるわけです。そして二百三十四ページ、「ロシア中国進出を喜ばないアメリカも、」云々と書いてある。  

滝沢幸助

1977-03-02 第80回国会 衆議院 外務委員会 第2号

イギリスを初めとしてロシアフランス、スペイン、ドイツ、その他欧州列強中国、あるいは中国日本の入り乱れた武力紛争というものは日露戦争前後からさらに激しくなって、シベリア出兵南京事件済南事件、第一次大戦の膠済半島での日独戦争遼東半島還付事件——これは三国干渉によるものである。

川崎秀二

1971-12-20 第67回国会 参議院 沖縄返還協定特別委員会公聴会 第1号

ところが、三国干渉がございまして、伊藤内閣はこれを涙をのんで受諾せざるを得なかった。しかし、その受諾したことが後世の歴史から見るとよろしかったんで、むしろ、これを拒否しておったならば、日本は再び戦争危機に見舞われておったんじゃないかということが言えると思うのであります。

戸川猪佐武

1971-12-09 第67回国会 参議院 沖縄返還協定特別委員会 第3号

このうち遼東半島だけはその後三国干渉清国へ返すことになったのは御承知のとおりであります。  日露戦争に勝ってポーツマス条約においてわが国ロシアから賠償金はもらわなかったけれども、領土としては樺太の南半分、それに旅順及び大連の租借権並びに南満州鉄道の利権を継承いたしました。  

塚田十一郎

1971-11-16 第67回国会 衆議院 沖縄返還協定特別委員会 第6号

当時、いわゆる三国干渉日本側がいっておる外交交渉によって、日本はそれを中国に返しました。そういう事実が目の前にありますよ。だから、血で取ったものは血であがない返さなければならない、そういう単純なる宣伝は、私は慎まれるべきであろうというのがまず始まりなんです。どうでしょうか。

渡部一郎

1968-03-22 第58回国会 参議院 予算委員会 第4号

加瀬完君 それでは文部大臣に伺いますが、三国干渉、「政府は三強国の圧力に屈してやむを得ずこの干渉に従ったが、戦勝を誇っていた国民は三国のやり方に大いに憤りを感じた。政府は外国の圧迫に負けないようにと盛んに軍備を整え、また大がかりな八幡製鉄所をつくった。このため国の予算は軍事費に多く割かれ国家主義の考え方が一そう強くなった」、この内容はどうですか。これは教科書に出ている。

加瀬完

1955-07-07 第22回国会 衆議院 内閣委員会 第36号

またあのやかましかった三国干渉に際しましても、陸奥外務大臣はあらゆる反対を押し切って国家危機を救っております。また日露戦争時代における小村外務大臣も、あらゆる反抗を押し切ってポーツマス条約をまとめてわが国を救っておる次第であります。しかるに今回はこれら政治家の責任を全く忘れたかのように、罪なき一般軍人にその責を転稼しておるのでありまして、その遺族にまでもこれが及んでおります。

眞崎勝次

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