2011-12-08 第179回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号
しかし、日清戦争があって、三国干渉があって、臥薪嘗胆と。じゃ、次はロシアと対峙しないといけないよというときに、そのときの日本は、日露協商の道も探ったし、日英同盟の道も探って、つまり、よその国をカードとして複数の選択肢持っていったところに明治国家の偉大さがあったと思うんですね。
しかし、日清戦争があって、三国干渉があって、臥薪嘗胆と。じゃ、次はロシアと対峙しないといけないよというときに、そのときの日本は、日露協商の道も探ったし、日英同盟の道も探って、つまり、よその国をカードとして複数の選択肢持っていったところに明治国家の偉大さがあったと思うんですね。
例えば歴史を振り返ってみますと、日清戦争の後、三国干渉をやられる、次は必ずロシアと戦うと。そのときに、例えば伊藤博文は日露協商という道を模索した、小村寿太郎は日英同盟ですよ。そういう大きな選択肢の中で物事を考えてきた。こういうことをきちんとおやりになっているのかどうなのか。 例えば、これからロシアとの北方領土をめぐってどういう展開をしていくのか。
やはりかつての列強国、三国干渉があって、そういう歴史を超えられていないのかなという、そういう延長の中に今の地政学の問題とか安全保障の問題があるのかなと私は思っているんですね。この辺は、それじゃ後で答えてください。 在日米軍地位協定の第十六条は法令遵守義務に触れていますが、米軍は日本の立法は尊重しても従う義務がないことになっているんですね。
まさしく机上の空論である、日露戦争も最初から勝てると思ってやったわけではない、三国干渉があってやむを得ず立ち上がったのである、戦というのは意外なことが起こってそれで勝敗が決するのであって、諸君はそのようなことを考慮していない、この研究の成果は決して口外しないようにと言って終わるわけですね。 なぜあの戦争は負けたか。要は、輸送というものを徹底的に軽視したからですよ。
領土問題というのはなかなか難しくて、かつて三国干渉というのがあって、日本が戦争によってとったものを取り上げられたという歴史的な経緯もあるわけですが、諸国間、特にアメリカとかヨーロッパの関係国々の理解を得ながら、ソ連に、国内にもいろいろ意見があるようですけれども、理解を求めていくということも大事でありますが、日ソ間の総理がおっしゃったような交流を進める、理解を進める、と同時に、平和条約を結ぶというときこそ
これは三国干渉で臥薪嘗胆になってしまったけれども、日清戦争の前後に条約改正が陸奥宗光の努力で具体化して、陸奥宗光が亡くなった後で条約改正が完成したはずですけれども、そういうところから見た一種の憲法史といいますか、政治史というのはもっと研究しておかなければいかぬことではないかという気がちょっとしたんです。
それで、具体的な例として、例えばかつてのいわゆる三国干渉ですとか等々のようなものが例に挙がっているのが「武力による威嚇」の例だろうと存じます。
あるいは佐藤功先生といった学説によりましても大体一致しているところだと承知しておりますが、それは通常は、現実にはまだ武力を行使しない、しかし自国の主張、要求を入れなければ武力を行使する、こういう意思、態度を示す、それによって相手国を威嚇する、こういうのが大体言われているところでございまして、例に引かれておりますのは、例えば宮沢先生でございましたら一八九五年のフランス、ドイツ、ロシアの日本に対する三国干渉
二度の戦争がありましたし、ノモンハンの事件もありましたし、三国干渉もありましたし、ようやく今日、ゴルバチョフ大統領の来日ということにもなるわけですけれども、北方領土の返還ということをめぐって、極東の安全保障、つまりソ連側から見た場合の極東地域全域の軍備管理と、ソ連側にしてみれば密接な関係を持っていると思うのですね。
○川崎(寛)委員 それじゃ、藤尾さんを罷免したというのは、この藤尾さんの発言の「清国が日本に負け、替って日本が進出しようとしたところへ三国干渉でしょう。日本は屈従を強いられ、その後にノコノコと出てきたのがロシアですね。」このことであなたは藤尾さんを罷免されたのですか。
○川崎(寛)委員 だから、今の日韓併合条約の成立過程についての藤尾発言、つまりロシア、清国云々と、三国干渉云々というところを先ほどあなたは言われた。しかしこれを除いて、日韓併合条約の成立過程についての藤尾発言というのは正しいのですか、間違いないのですか、間違っているのですか。
三国干渉後の列国の中国進出も、こうした帝国主義の動きのあらわれであった。」こう書いてある。そして「義和団の乱」となって、「列国が進出した中国ではこういう言い方になっておる。そして「日英同盟」というところでは、「義和団の乱ののちも、ロシアは満州の占領をつづけた。」こう書いてあるわけです。そして二百三十四ページ、「ロシアの中国進出を喜ばないアメリカも、」云々と書いてある。
イギリスを初めとしてロシア、フランス、スペイン、ドイツ、その他欧州列強と中国、あるいは中国と日本の入り乱れた武力紛争というものは日露戦争前後からさらに激しくなって、シベリア出兵、南京事件、済南事件、第一次大戦の膠済半島での日独戦争、遼東半島還付事件——これは三国干渉によるものである。
ところが、三国干渉がございまして、伊藤内閣はこれを涙をのんで受諾せざるを得なかった。しかし、その受諾したことが後世の歴史から見るとよろしかったんで、むしろ、これを拒否しておったならば、日本は再び戦争の危機に見舞われておったんじゃないかということが言えると思うのであります。
このうち遼東半島だけはその後三国干渉で清国へ返すことになったのは御承知のとおりであります。 日露戦争に勝ってポーツマス条約においてわが国はロシアから賠償金はもらわなかったけれども、領土としては樺太の南半分、それに旅順及び大連の租借権並びに南満州鉄道の利権を継承いたしました。
当時、いわゆる三国干渉と日本側がいっておる外交交渉によって、日本はそれを中国に返しました。そういう事実が目の前にありますよ。だから、血で取ったものは血であがない返さなければならない、そういう単純なる宣伝は、私は慎まれるべきであろうというのがまず始まりなんです。どうでしょうか。
○加瀬完君 それでは文部大臣に伺いますが、三国干渉、「政府は三強国の圧力に屈してやむを得ずこの干渉に従ったが、戦勝を誇っていた国民は三国のやり方に大いに憤りを感じた。政府は外国の圧迫に負けないようにと盛んに軍備を整え、また大がかりな八幡製鉄所をつくった。このため国の予算は軍事費に多く割かれ国家主義の考え方が一そう強くなった」、この内容はどうですか。これは教科書に出ている。
変えた理由は、三国干渉は国際的詐欺だ、臥薪嘗胆を十分に書けということであとのように変えられました。そこで法制局長官に伺いますが、武力の強化で国際紛争を解決するという方向が憲法上許されますか。
またあのやかましかった三国干渉に際しましても、陸奥外務大臣はあらゆる反対を押し切って国家の危機を救っております。また日露戦争時代における小村外務大臣も、あらゆる反抗を押し切ってポーツマス条約をまとめてわが国を救っておる次第であります。しかるに今回はこれら政治家の責任を全く忘れたかのように、罪なき一般軍人にその責を転稼しておるのでありまして、その遺族にまでもこれが及んでおります。